1/31 「豊橋あいうえお画文」開催

2009年1月31日、愛知県豊橋市の「こども未来館 ここにこ」にて、「豊橋あいうえお画文」ワークショップが行われました。豊橋市では、「とよはしアーカイブス」作成のために地域の方々から4000枚あまりの写真が提供されています。昔懐かしい豊橋の街並みや人々が写されたこれらの写真をつかった実践を考えるため、昨年の秋から「こども未来館」の方々と企画を進めてきました。
「あいうえお画文」とは、写真(「画」)と文章(「文」)を組み合わせ、つないだもの。「あいうえお」や「かきくけこ」などの文字から始まる5つの文章と、それぞれに5枚の写真を対応させて組み合わせます。あいうえお作文+写真、とお伝えすればわかるでしょうか…。
★豊橋で出来あがった画文の一部は、「こども未来館 ここにこ日記」にてご覧ください。
「あいうえお画文」ワークショップでは、画文づくりを通して新たなコミュニケーションの場を地域の中に生みだすことを目指しています。「豊橋あいうえお画文」でのお題は3つ-1.豊橋と私、2.懐かしの豊橋、3.行くまち、来るまち-でした。昔の写真を見るだけでも豊橋の歴史や思い出話に花が咲き、画文づくりを通して豊橋のさまざまな姿が見えてきました。
「豊橋あいうえお画文」には、豊橋にお住まいの8名の方が参加。約3時間の実践の中で、ひとりひとり、そしてグループによる12個の「あいうえお画文」が完成しました。
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こども未来館は、昨年できたばかりの新しい施設(左)。前夜の豪雨がうそのような晴天でした。
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館長さんも飛び入り参加して下さいました(中)。出来あがった画文は、こども未来館で展示中です(右)。
■「豊橋あいうえお画文」 ワークショップ概要
2009年1月31日(土) 13:00〜16:00 こども未来館研修室
「あいうえお画文」ワークショップは、2007年12月に神奈川県藤沢市にてプレ実践を行っています。計30個の画文を2日間のプログラムでつくりました。湘南にお住まいの9名の方にご協力頂きました。
DSCF8925.JPGDSCF9292.JPG写真2.JPG
■「湘南あいうえお画文」ワークショップ概要(2日間のプログラムで実施)
2007年12月8日(土) 13:00〜17:00 遊行寺 蔵まえギャラリー
2007年12月16日(日) 14:00〜17:00 藤沢産業センター6階第二会議室
(文責:鳥海希世子)

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水越G会合記録:2008年9月〜12月/meeting record

12/25 水越Gミーティング 13:00- @研究室
【現地打ち合わせ】12/15 豊橋あいうえお画文@ココニコ 14:00-17:00
12/11 水越Gミーティング 1230- @研究室
12/4 水越Gミーティング 1230- @研究室
11/27 水越Gミーティング13:00- @研究室
【映像分析】11/25KeitaiTrail!映像上映会
【現地打ち合わせ】12/1 豊橋あいうえお画文@ココニコ14:00-17:00
11/20 水越Gミーティング15:30-18:00 @研究室
【映像分析】11/20KeitaiTrail!映像上映会
【映像分析】11/18KeitaiTrail!映像上映会
【映像分析】11/15KeitaiTrail!映像上映会
11/13 水越Gミーティング 1230- @研究室
10/30 水越Gミーティング 12:30−15:30 @研究室
【現地打ち合わせ】10/24 豊橋あいうえお画文@ココニコ15:30-17:00
10/23 水越Gミーティング 15:00-18:00 @研究室
10/16 水越Gミーティング 12:30-15:30 @研究室
10/9 水越Gミーティング 15:30-18:00 @研究室
10/1 水越Gミーティング 15:30-@研究室
9/24 水越Gミーティング 15:00- @研究室
9/18 水越G集中会合 11:00〜
(9/4-9 “Keitai Trail!”本番 in ArsElectronica (Linz, Austria))
(8月〜 本格準備、下旬より順次Austriaへ渡航)

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“Narratives in the Digital Age” in National Chengchi University, Taipei

Abe and Toriumi will go to Taiwan to have a presentation in the symposium below.
Annual Workshop for Digital Communication
Theme of the 2009 Workshop: Narratives in the Digital Age
January 8 – January 9, 2009
College of Communication, National Chengchi University, Taipei, Taiwan

Our presentation topic is…
Collaborative Narratives in the Digital Age:
An Analysis of “Keitai Trail! -Mobile Video Workshop-“

Mr. Aske Dam from Norway will also join the presentation!
You can find more information about this symposium here.

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実践のまとめーMedia Conté 2008 in 可児 Vol.3

 物語とは何だろう。それはどこから生まれ、どうやって作り出されるのだろう。そうした疑問に答えようとした思想の一つ、近代のイギリスやドイツを中心に、形式の客観性を重んじる古典主義に対抗するための文化運動としてくりひろげられたロマン主義の考え方では、物語の本源性は個人の主観性の中に求められる。つまり「語るべきものは人それぞれの心の中にある」とされ、形式にとらわれることなく思うがままにそれを表出することによってそこに物語が生まれる、とされた。さらにそこでは古典主義的な画一性に対抗するためのモチーフとしてことさら地域性が重んじられた。たとえばイギリスでは、とくにウェールズがロマン主義的なイメージの源泉としてもてはやされた。
 今日、マスメディアの画一性に対抗するための文化運動として欧米各地でくりひろげられているデジタル・ストーリーテリングの発想の中には、もしかしたらそうしたロマン主義的な物語観が息づいているのかもしれない。実際、かつてのロマン主義の聖地、ウェールズを拠点にくりひろげられているキャプチャー・ウェールズ・プロジェクトは、形式の客観性を重んじる古典主義に抗してかつてのロマン主義が個人の主観性を絶対視したのと同様、マスメディアの客観的な表現様式に抗して個人の主観的な表現様式を称揚することによって、マスメディア的な視野からこぼれ落ちてしまいがちな普通の人々の「物語空間」を拾い上げることを試みている(小川,2008)。
 しかし実際、「語るべきものは人それぞれの心の中にある」のだろうか。デジタル・ストーリーテリングのモットーとしてよく言われるように、「誰にでも語るべきストーリーはある」のだろうか。あるとしてもむしろ多くの人々は、語るべきものが何か、どんなストーリーを語るべきかを自覚することすらできていないのではないだろうか。あるいは語ろうとしてもうまく言葉にならない、声にさえならないのではないだろうか。いいかえればそこにあるのは「物語空間」ではない。声にならない声、語りにならない語り、愚痴やつぶやきやボヤキやため息、そうしたちょっとした思いの切れ端、微細な心意現象の断片がもぞもぞとうごめいているようないわば「前物語空間」なのではないだろうか。
 そうした声にならない声、語りにならない語りをただ主観的に表出しようとしてもそこから物語が生まれることはない。それが物語になるためには、いいかえれば「前物語空間」が「物語空間」に変容するためには、そこに他者との対話という客観性のモチーフがむしろ決定的に必要となるのではないだろうか。つまり発話者は対話者に向かって声にならない声をひねり出し、語りにならない語りをねじり出そうと試みる。一方で対話者は声にならない声に耳を澄まし、語りにならない語りに耳を傾けようと努める。そうした相互作用を通じて両者はやがて声のかけらを探り当て、語りの種子を掘り当てる。その過程で「前物語空間」が「物語空間」に変容し、そこからようやく物語が立ち現れてくるのではないだろうか。
 今回のワークショップでは発話者の役割を子どもたちが、対話者の役割を大学生たちが担うことになった。しかも今回、ほとんどの子どもたちは十分に日本語をしゃべることができなかった。つまり今回発話者となったのは、現実問題として声を奪われている者たち、実際に語ることのできない者たちだった。そうした発話者に対話者として向き合いつつ、声にならない声に耳を澄まし、語りにならない語りに耳を傾けるのはどれほど困難なことだったろう。そしてそこから声になりそうな何かを探り出し、語りになるかもしれない何かを掘り出すのはどれだけ至難なことだったろう。しかし大学生たちは見事にそれをやってのけた。そして子どもたちも見事にそれに応えてのけた。
 ロマン主義的な考え方では、奇跡は人間の内奥から生じるとされる。しかし今回のワークショップで私たちが立ち会ったのは、人間と人間の間から奇跡が生み出されるまさにその瞬間だった。その結果、私たちの目の前に一つの可能性が開示されることになった。それは物語るという行為を、ロマン主義的な物語観の上に成り立つ従来のデジタル・ストーリーテリングの発想とは異なる次元で考えていくことの可能性、ひいては表現するという行為を、西欧近代的な人間観の上に成り立つ従来のメディア研究、メディア実践の視座とは異なる次元で考えていくことの可能性だといえるだろう。(文責:伊藤昌亮)
参考文献:
小川明子「小さな物語の公開、そして共有」(2008)松浦さと子・小山帥人編著『非営利放送とは何か 市民が創るメディア』ミネルヴァ書房

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実践をめぐるエッセイー”Keitai Trail !” in Ars Electronica Vol.3

【はじめに】
私たちmedia exprimoが今回Ars Electronicaへ参加表明を行ったのも、思えば2008年5月19日のことであった。光陰矢の如し、4ヶ月間の濃密な日々が一区切りついたといえるだろう。
Festival Ars Electronicaにおいて例年開催されるキャンパス展において今年は東京大学が出展を行うことになり、その中でのワークショップ開催という位置づけとなった。参加のきっかけはキャンパス展(東大展)のオーガナイザーを務める森山朋絵さんに情報学環の開講する授業を介して縁した所以である。
今回私はキャンパス展の運営およびワークショップの企画・実施などを役割としアルスに参加した。それらのプロジェクトを通じて何を経験し、何を発見し、何を拓いたのだろうか。少し振り返ってみたい。
【つなぐインタフェース、ワークショップ】
ワークショップを用いて何をどのようにするか。ヒトとモノをつなぐ。ヒトとヒトをつなぐ。インタフェースをデザインし、空間やコミュニケーションをデザインする。つなぐという行為において新たな意味や価値、そして共感が創造されるという信念に基づき生きているといっても過言ではない。では、ワークショップによって一体何がつながれたのだろうか。
まず、ワークショップが他の作品展示と大きく異なる点は、「現場」で何かが創り出され時には思いがけない出来事が起こるなど非常に即興的で、また現在進行形であるという点である。メディアアートはいわば現場である。現場でしか体験できない、意味や物語、それらが表現という手法によって現れる。そのような観点からすると、ワークショップは究極のメディアアートなのかもしれない。
「何か変なことがしたい」6月頃私はそのようなことを口にした記憶がある。いつしか私たちはワークショップにおいて弥次喜多の格好をしていた。
さて、ワークショップKetai Trail!ではケータイによるヴィデオ撮影を行い、モバイルな品物を通じて人々のメッセージをつないでいくという手法を用いた。ここでは「つなぐ」という観点から考察を行いたい。まず、江戸時代と現代をつなぐ。江戸時代における旅を通じたモバイル文化は日本の現代におけるモバイル文化と源流を共にする。モバイルが含む意味とは何か。我々が自分のモバイルな持ち物を問い直すことは、果てしない時の旅であるともいえるだろう。
次に、モノと言葉をつなぐ。参加者はsomething xxxなモノは同時にsomething zzzであると伝える。そしてzzzなモノとして次なる参加者はsomething kkkであるという。 参加者はモノを言葉で表現することによって、そのモノに対する見方や接し方に変化を起したのではないだろうか。
最後に、ヒトとヒトをつなぐ。質問によってメッセージは異なるヒトへとつながれる。モノを語ることでヒトはそこに込められた物語や自分自身を表現する。表現するという行為は自分を見せる行為に他ならず、メッセージを伝えるという行為は他への表現に他ならない。それによって関係が生まれ、ヒトはヒトに何かを伝える。通常の対話であれば様々な要素が包含されコミュニケーションが生まれる訳だが、Ketai Trail!ではそうしたメタデータは非可視的にマッピングされていく。今回のプロセスや発見などを踏まえ、更なるつなぎ方を編み出していきたいものである。
Keitai Trail!は、果たしてどのようなダナミズムを、もしくはアートを生み出したのだろうか。一人一人がtrailの中で表現することによってヴィデオの中に、また心の中に、可視的に非可視的に様々なアートを生み出していったのではないだろうか。それらはとてもプライベートな作品であり、また共同体としてのパブリックな作品でもあるだろう。マクルーハンの言葉の通り、メディアはメッセージとなり、メッセージはメディアとなった。

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実践のまとめーMedia Conté 2008 in 可児 Vol.2

自動車産業を中心とした東海地方の製造業は、90年以降、多くの外国人を労働者として受け入れてきた。しかし、中には短期雇用で町を去ってしまう労働者も多い状況のなかで、同じ地域に暮らしていても 彼らが何を思い、どんな生活を送っているのか、かいま見る機会はほとんどないままだ。
メディア・コンテ2008 in 可児 では、だからこそ、そうした親たちとともに日本にやってきた外国籍の子どもたちにストーリーを作ってもらった。普通、私たちが映像を作るというのは、何か「特別なこと」であることが多い。運動会であったり、旅行であったり。でも今回はそうじゃない。「通学路」「わが家の宝物」「やっかいなこと」といった日常にこだわったテーマだ。
人の日常というのは、どの国でも、どんなひとでもそれほど違わないだろう。ごはんを食べて、掃除して、洗濯をして、学校や会社に行き、休日には大切なひとと過ごす。でき上がった作品群を見ても、外国籍の子どもたちも、私たちと同じようなことをやっかいだと感じ、幸せだと感じている。そういう意味では、国籍が違ったって何も変わらない。
しかし、大学生たちは、私たちと変わらない子どもたちの日常生活の描写の中に、「少しでもいい職業につくために、妹には高校に行ってほしい」「一生懸命働いてくれる両親のためにいい娘になりたい」なんていう子どもたちの声を敏感に見つけ出し、驚き、それが意味することが何なのか必死で聞き出しながら一緒にストーリーを編みあげていった。そのプロセスは、恵まれた環境にある大学生たちにとっても、なぜ自分たちが学ぶか、将来どうするのかを考えることにもつながっていった。
映像を作った子どもたちも、 身の回りをあらためてカメラで探り、 思いを整理して大学生という他者に語ることで、自分の将来や方向性について少なからず考えたようだ。そういう意味では、映像を作った外国籍の子どもたちも、それを手伝った大学生たちも、互いが触媒になりながら、自分自身について考えながら作り上げた、共同のストーリーだったといえるかもしれない。
こうしてでき上がった「映像」は、私たちが普段目にする映像とは、見た目も、そのプロセスも背景も意味も異なる。互いの日常に介入し、ともにストーリーを作り上げるという経験は、簡単に言葉では表し得ない相手への深い共感をもたらした。これっていったい何なんだろう? 今後、もう少し同様の試みを続けながら考えていきたい。
最後に、ウェールズで同様の活動を行っているみなさん、子どもたちの置かれた背景について熱く語ってくれた小島先生、可児市国際交流協会のみなさんをはじめ、煮詰まったときに状況を打開するようなアイディアをくださったエクスプリモのみなさん、そして何より、見違えるように成長し、感動を与えてくれた愛知淑徳大学の学生さんと可児のアミーゴスたちに感謝の気持ちでいっぱいです。可児ケーブルテレビでの放送は10月25日、26日の予定。(文責:小川明子)
Since 1990, Corporations such as car and macine industries in Tokai district has been employing a huge number of Japanese descendants from South America and the Philippines. We often see them on the street, but their voices are not be heard.  How we get to know each other?
In Media Conte 2008, we exprimo members and university students of Aichi Shukutoku University worked with teenagers of foreign citizenship in Kani, Gifu Pref. We helped kids make photo based digital stories of their daily lives , like  ” on the way to school” “our family treasure” and “That’s troublesome!” etc.
Then, we found their stories about their daily lives, troublesome worries, and the love to their families are almost the same as ours. Yes, we are not that different as we expected!
But university students found the kids sometimes saying ” I want my younger sister get higher education” ” I want to be a good daughter because my parents works very hard for us” etc , Maybe, they might never have thought : why I am studying at the university ? for what? so far.
Also, kids had to think of their identities and future visions. Well, storytelling may not a personal work. The stories might be fruits of collaborative work among them!
Thus, while working together, kids and university students both learned each other. It might be a happy coincidence. But the workshop brought us mutual understanding indeed. And I don’t know why we get emotional whenever we see their stories. Each video clips they created seems much different than the videos made by professionals of mass media in many ways.
The stories are going to be broadcast by CATV in Kani on Oct.25-26.
Next ” Media conte” will be held in different place/situations in the near future. Thank you for everyone who concerned, including, capture wales project members and people in Kani . (Akiko OGAWA)

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実践のまとめーMedia Conté 2008 in 可児 Vol.1

メディア・コンテ・ワークショップ 2008 in 可児  
“Media Conté Workshop 2008 in Kani”
【概要】
 2008年8月20から23日にかけて、メディア・エクスプリモ水越グループは、愛知淑徳大学コミュニティコラボレーションセンター(CCC)、NPO法人国際交流協会、ケーブルテレビ可児などと連携し、岐阜県の可児市において「メディアコンテ2008in可児」を実施しました。
 今回の可児市での実践は、今日増加の傾向にありながら地域社会で十分に理解されているとはいえない外国籍の子どもたちに焦点を当てました。今回のプログラムは、エクスプリモ水越グループがワークショップの内容や手順を考案、愛知淑徳大学の学生たち12名がワークショップで外国籍の子どもたち11名に映像制作を指導するというかたちで行われました。
  活動の大枠は、可児市に住む外国籍の子供たちが、普段の暮らしで感じていることや伝えたいことを自ら絵コンテにし、それをもとにデジカメで撮影した写真画像をつないで一人一人のストーリー(1分半か2分)を制作し、できあがった映像作品をシンポジウムとケーブルテレビで上映する、というもの。
プログラム
■事前準備
2008年8月20日(水)
   12:00〜 ※前2日は愛知淑徳大学の学生のみ
素材、機材確認
プレ実践、リフレクション
       
2008年8月21日(木)
11:00〜 プレ実践の続き
       プレ作品の上映、リフレクション
       ワークショップのキット作り
■当日プログラム
2008年8月22日(金)
   13:00〜13:15 はじめに
   13:15〜13:35 ワークショップ1 「ベストショット!で自己紹介」
   13:35〜13:55 ワークショップ2 「写真組み合わせストーリー」
   13:55〜14:00 休憩
   14:00〜15:30 ワークショップ3 「5コマ紙芝居をつくろう!」
          お題タイム
          質問タイム
          連想タイム   →   紙芝居(絵コンテ)づくり
   15:30〜16:15 中間発表
   16:15〜16:30 明日にむけて
2008年8月23日(土)
  9:00〜9:30 集合、データ収集
   9:30〜10:30 絵コンテ制作 
   10:30〜12:30 映像制作 「Windows Movie Maker」
   12:30〜13:30 お昼休憩
   15:30〜   上映会
   16:00〜 振り返り
活動内容
■ 事前準備
 愛知淑徳大学にて、ファシリテーターとなる大学生自身が、ワークショップの全体像を捉え、理解するとともに、Windows Movie-Maker、写真や録音機材など、技術的な知識や表現能力を深める意図でワークショップを一通り実践的に試行しました。参加した人数は、一日目12名、二日目11名。
 一日目の8月20日(水)はワークショップに必要な機材を確認し、本番の活動と同じように、家族をテーマにしたストーリーを、二人一組になってふせんを使って考えていきました。その上で、最終的にストーリーがどのようなものになるか、デジカメで撮ってくる画像をどんなものにするかを決める作業を行い、この日の最後には、作品がどのようなものになっているかを全員に簡単に発表してもらう時間をもちました。その事から見えて来たのは、実際に人の作品に触れ、自分のアイディアや思いを言葉にして伝えるという活動を通じて、自分だったらこうする、こんなアイディアはどうか、といった議論が作り手である学生の中から起きるということ。作品を仕上げていく上でこのように多数の参加者の視点でストーリーの面白さや可能性を引き出していくことが、それぞれの気付きや新たな感性の芽生えの場となることを確認でき、実践のプログラムでも全体での鑑賞と討論の場がとても重要だと感じました。結果的に、当初予定には入れていなかったこの中間合評会を当日プログラムに入れよにしました。
 二日目の8月21日(木)は一日目に宿題でとり集めてきた写真(やデータ)を実際にパソコンに取り込み、絵コンテを創っていく作業、絵コンテから実際にMovie Makerを使って映像にし、声を録音していくという仕上げ作業を行いました。
 最後に作品上映の時間をもち、それぞれの選んだテーマ「おばあちゃん」や「家族」などに対して感じていることを表現/鑑賞し合う時間としました。絵コンテ通りの写真がとれなかった、データがうまく取り込めなかった、録音した音声が聞きづらかった、こまめな保存が必要など、ワークショップを実際に行う中で起こりうる課題をたくさん捉えられたことが、本番で大いに活きることになりました。
■当日プログラム
●ワークショップ1 【ベストショット!で自己紹介】
 子供たち自身が二人一組になってチェキを使って相手のベストショットを撮影。シールを使って余白の部分に投票合い、そうして選んだ一枚を使って、ネームプレートを作成。当日会場に集まった子供たちが、楽しみながらできるだけ自然に場に適応すること、パートナーとお互いに「写真を撮ってみる」行為を通じて、機材に慣れること、工夫して印象的な写真を撮ることなどを促しました。
●ワークショップ2  【写真組み合わせストーリー】
ペンギン、温泉、鯉、すいか、などさまざまな写真を20枚ほど用意しておく。その中から子どもが各自1枚を選び、ワークキットに用紙された自分の台紙に貼り付けます。台紙は子ども1人に1枚(A4サイズ)。ペアになった2人はお互いの台紙をつなぎ合わせ、大きなシートを作ります。紙には、一方の端に写真、もう一方の端に別の写真、真ん中に空欄が1箇所あるかたち。参加者はこの2枚の写真をつなぐようなストーリーを作らなければならず、「スイカ」と「温泉」など全くストーリーが思いつかないような組み合わせからどのようにストーリーを作り出すかがこのワークショップのポイントです。
RIMG0435.JPGまず、それぞれの写真から連想されるものを自由に言い合いながら、ふせんに書き込んで写真のまわりに貼り付けていきます。そのうえで、書き込まれたイメージを手がかりに、それらをいろいろにつなぎ合わせてみてストーリーを作っていきます。中には難しい組み合わせもあり、
うまくできるか心配されたけれど、子どもたちは豊かな発想力でストーリーを作り上げていきました。中には参加者が大笑いするような残酷なストーリーもあったほど。「新幹線」が「蛇」になるといったアイディアも、子どもたちならでは!当初うまく行くか最も心配していた活動でしたが、結果的には本番の絵コンテづくりのためのよい準備体操になりました。
 ●ワークショップ3  【5コマ紙芝居】
RIMG0448.JPG名刺サイズのお題カードを1人5枚用意
します。実際に使用したお題・・・
「わが家の発明」
「わが家の宝物」
「わが家の晩ごはん」
「通学路」
「これ、やっかいやわ」
 これらをストーリーのもととなるテーマとし、質問ゲーム、連想ゲームという対話の形式でお題から出てくる子供たちの自由な発想をポストイットに書き出し次々台紙に張っていきます(A3サイズ)。さらに、紙芝居作り用の台紙を用意(A4サイズ×5)。A4サイズの各コマにはビジュアル欄とキャプション欄があり、つまり台紙全体で、ビジュアル欄とキャプション欄の組み合わせによるコマが5つある状態。台紙とお題カードは子ども1人に1セット。
RIMG0480.JPG 流れとしてはまず子どもが各自、お題カードの中から自分のテーマを選びます。さらにその中から、具体的に自分のストーリーの題材を考えることに。その際、それぞれのお題から想起されるものを大学生が子どもに聞きながら、うまく題材を引き出していきます。当初チームの中で質問し合って、子どもがそれに答えるという形式をとる予定でしたが、言語の問題もあり、自然と大学生と子供のほぼ一対一の組み合わせができあがったため、その対話で進行しました。そしてファシリテーターなどの大人たちはチームをはっきり固定しそこに常時居るのではなく、2人あるいは3人のチームの中をぐるぐる回り、補助的に質問や物語形成に関与しました。子供たちは、 出てきた題材をふせんに書き込み、必要に応じて分類しながら次々台紙に貼り付けていきました。前日に同じ経験をした大学生たちは、想像以上に子どもたちのストーリーをうまく聞き出し、テーマやクライマッ クスを見つけ出すことでストーリー化していきました。
 次に「紙芝居作り」。台紙に貼り付けられたキーワードをもとに、5コマ分の紙芝居を作ります。ふせんをキャプション欄に貼り付けたり、ビジュアル欄に絵を描いたり、などなど。紙芝居とはいえ、形式は絵コンテなので、これがデジタルストーリーテリングの絵コンテの原型となるかたち。
 最後に子どもたちのストーリーをお互いに発表しあいました。この時は、当日の時間配分がかなり厳しくなってしまったことがあり、前日のように効率的なアドバイスができませんでした。しかし、すでにこの段階で十分にストーリーは練り上げられている状態で、中には、明日までに宿題としてもってくる写真をこれと、これと、一枚一枚丁寧に書き出し、子どもたちに伝えている学生たちもいました。 
●映像編集
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前日に撮影してきた写真をプリントアウトし、紙の上で絵コンテを作ったあと、Windows Movie Makerで1分半から2分のストーリーを作っていきました。子どもによってはナレーションが難しい場合もありましたが、大学生が根気よく付き合い共同作業を進め、予定の3時に間に合わないチームもいくつかあったものの、ほとんどがお昼過ぎには仕上がっていました。
■ 上映会
RIMG0440_3.JPG
出来上がった作品は23日に多文化共生センター「フレビア」で開いた「外国人の子どもの教育を考えるシンポジウム」で発表しました。 子どもたちが、一緒に作品づくりをした大学生と共に、交流協会や集まった地域の人たちの前で「名前、学年、何に関する作品か」を発表し、作品を上映する形をとりました。子どもたちは緊張している様子は見られたものの、自分のストーリーが作品になって見知らぬ人に公開されることを恥ずかしがりつつ楽しんでいる様子が印象的でした。出来上がった作品は10月25、26日にケーブルテレビ可児で放送されることになっています。
■振り返りと展望
 当初は、大学生が子どもたちの物語づくりを全般的にファシリテートすることは難しいかもしれないと考えていました。しかし、実際には大学生が驚くほど見事にファシリテーターとしての役割を果たしました。中にはなかなか物語が連想されず、足踏みする子どもたちもいましたが、大学生と子どもの間の信頼関係と相互理解が作品づくりを通して形成されると同時に、それが作品自体に反映されるかたちとなりました。実際に、実践に参加した中には、人生が変わるような大きな体験になったと言う学生もいたほど。外国籍の子どもたちの、アイデンティティに関わる製作/表現活動のプロセスは、そこに一番近くで寄り添った学生たちが、物語の「編集者」としての自覚と責任を得ていく過程でもあったといえます。最初はこわばった顔つきでフレビアに集まって来た子どもたちの表情は、時間を追うごとに柔らかくなり、なかなか焦点の定まらなかった目線も、最後にはきちっと大学生や大人と向き合うようになっていました。同時に子どもたちのアイディアものびのびしたものとなり、率直さ、斬新さ、優しさに溢れ、2分半の内にも多くを語りかけてくるものとなりました。あるキーワードを手がかりに、自分のこと、家族のこと、日常のことを語り始める、あるいは物語にはならない単語レベルの、それでも確かに彼らの中にある思いをポツリ、ポツリと表現し始める・・・大学生がそれを拾いあげ、深め、広げていく。その過程の中で、相互に自分たちのアイデンティティを再確認していくことが、探り探りに、しかし確実に達成されていった2日間でした。RIMG0428.JPG
 
 また、実践を終えて、国内のいくつかの地域から、今回の可児のような実践をやってみたいというオファーがありました。エクスプリモとしては,異なる地域でのこうした実践をいかにネットワーク化していくかが今後の課題と言えます。(執筆:稲葉莉奈/執筆協力:小川明子・伊藤昌亮)

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実践をめぐるエッセイー”Keitai Trail !” in Ars Electronica Vol.2

今回の”Keitai Trail !”での私の役割は、おもにふたつあった。ひとつはロゴ、ポスター、バナー、ティッシュ等のグラフィックデザインで、もうひとつはワークショップの現場での参加者とのやり取りである。と言っても現場にいられたのは正味まる3日間だけで、参加者へのワークショップの説明やビデオシューティングに慣れる頃にはもう帰国の日、という有様だった。しかし短い滞在なりにも現場で思ったことを、自分の興味の対象であるデザインに引きつけつつ、ここに書いてみたい。
1)市民表現と「遊び」の関係
会場に来てくださった方の中に、このワークショップを「『ゲーム』ではなく『遊び』だ」と指摘された方がいた。「遊び」の定義や、「遊び」と「ゲーム」の違いといった話をここでは掘り下げるつもりはないが、これまでワークショップのことを「遊び」として考えたことはなかったなぁということに思い当たった。たしかにこのワークショップは、参加者にとっては「遊び」だったのかも知れない。
たとえば、ちょっと飛躍するようだが、大縄跳びのことを考えてみる。大縄跳びは、ご存じのとおり、長いロープの両端を2人が持ってまわしている中に1人ずつ入っていき、ロープを跳ぶというだけの遊びだ。ときには「お入んなさい」というかけ声に応えて、1人ずつロープの中に入ってゆく。何人同時に入って跳ぶことができたか、また何回続けて跳ぶことができたか、その数を増やすことを楽しむ。だから最初の1人目でロープに引っかかって止まってしまったとき、誰かの失敗で連続回数記録がとぎれてしまったときに、私たちは「あーあ」という声をもらしてがっかりする。
なんかこの感じ、今回の”Keitai Trail !”に似ているなぁと、リンツで過ごした数日をふり返ってみて思う。前の参加者が残した次の人への質問に「難しいなぁ」とボヤきながらも次の人が飛び込んでいく感じ、1人ずつケータイカメラの前に立って話し、そのムービーひとつひとつがつながって全体で大きなまとまりをつくっていく感じ、今思い出してみると、スタッフ、参加者、オーディエンスみんなで大縄跳びをしているようだった。
もちろん、大縄跳びと”Keitai Trail !”には、似ていないところもたくさんある。そもそもワークショップは目的があっておこなうものだし、”Keitai Trail !”には小さな表現の集積から思いがけない展開が出てくるという驚きもある。なにもかもを大縄跳びにあてはめて考えたいわけではない。つまりここでなにを言いたいのかと言うと、なんだか面白そうに見えたり自分も参加してみたくなるような感じとか、「お入んなさい」というかけ声の感じとか、そういう「遊び」に見ることができる要素が、ワークショップにとって大事なのではないか、ということである。ワークショップをデザインするときには、つい、参加者はすでに参加しているという前提でプログラムを考えてしまうのだが、内輪うけ的な感じではなく、もっと普通に誰でもロープの輪の中に入っていけるような雰囲気をデザインできるともっと良いな、と思った次第である。
2)人と人とがつながるデザイン
今回の”Keitai Trail !”の面白さは、毎日持ち歩いている携帯物への愛着という個人的なことが、決まった形式による15秒のムービーとして次の人の語りへとつながっていき、かつそのつながり全体を俯瞰したり、ひとつひとつのムービーをじっくり見たりすることが自由にできる、というところにある。その面白さを生み出す仕掛けとして、システム設計やインタフェースデザインがあり、弥次喜多装束や小道具があり、部屋のしつらえやコミュニケーションツールがあった。すべて予想どおりうまく機能したが、実際に現場で実施してみて分かったこともたくさんある。それらは、人と人をつなげていくコミュニケーションをデザインするにはどうしたら良いのかという、今後の宿題になった。
ワークショップ会場で参加者がケータイカメラの前に立って話し始めると、そのとき室内に居合わせた人々は、彼/彼女がなにを話しているのかを見守る観客になる。他人から見られていると意識すると緊張してしまい、カメラに向かってうまく話せなくなることもあるし、見られていることでテンションがあがり、参加者と観客との間で思いがけない会話が生まれたりもする。観客の立場になる人とのコミュニケーションも含めて場づくりを考えていたら、もっとできることがあったかも知れない。
あるいは、集まったムービーをプレビューする画面。今回は、時系列の軸に沿って各ムービーを配置し、ムービー間のつながりは線で示した。ムービーから次のムービーへと手繰っていくような見方をするとつながりがよく分かるし、逆にさかのぼって見ていく楽しみもある。これにさらにダイナミックさを加えて、たくさんのムービーがわっと集まってガヤガヤしている感じがあり、それでいて全体の構造をクリアに把握することができ、ズームすればひとつひとつのムービーの詳細が分かる、という表示の仕方に工夫ができると面白いのではないかと個人的には思った。これは純粋に、ダイアグラムデザインとインタフェースデザインの問題である。
いずれにしても、現場での人と人とのつながりがダイアグラムとして画面に投影されるのであり、そういった意味で、場づくりの問題とインタフェースの問題はつながっているのだと思う。うまく説明できなくてもどかしいのだが、現場のアクティブでダイナミックな感じを、画面上に表現することができないだろうか。
長くなるのでこの辺で切り上げたいが、自分にとっての興味対象であるデザインという行為に引きつけて考えると、今回の”Keitai Trail !”は、グラフィックデザイン、インタフェースデザイン、コミュニケーションデザインといった、さまざまなデザインの複合技だったと言える。今回のワークショップがうまくいったからこそ、今後もっと面白いことができるのではないかという欲が湧いてしまったのである。(文責:宮田雅子)

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実践をめぐるエッセイー”Keitai Trail !” in Ars Electronica Vol.1

taking over:
リンツから帰ってきて早3週間が経とうとしています。
初めて行った場所で、慣れない言語を使って、さまざまな国の方と交流する。12日間というけして短くない滞在期間でしたが、あらゆることがあっという間に過ぎていったと感じたということは、それを楽しんでいた何よりの証拠なのだと思います。この5月からワークショップの準備が始まり、さらに言えば、これの前身となるようなワークショップを昨年度から始めていて、これらの長い長い”トレール”の延長にアルス・エレクトロニカ出展がありました。いまなおこの”トレール”は次の歩みを始めつつありますが、今回は少し時間をもどしつつ、”Keitai Trail ! “にて250ものストーリーを生み出した「モノ」について話をしたいと思います。
私は以前、「お守りプロジェクト―人は何をお守りとして携帯するのか―」というワークショップを行ったことがあります。これは、自身の携帯物を「実用度」と「依存度」の4象限に分けた紙の上に配置し、携帯物を客観視しながら、私たちは何をよりどころとして日々過ごしているのかについて再考するものでもありました。
私自身、このお守りワークショップの面白さは、普段あまり気にとめない「携帯物」に着目したことにあると考えています。モノは言うまでもなくその機能性や象徴性で選ばれ、所有者によってカスタマイズされることもしばしばです。モノは云わばその人の行動や生活の縮図となって、あらゆる経験をともにしているのです。そしてさらには、私たちは”Keitai Trail !”の中で、江戸時代の旅人の装束で歩きまわりましたが、社会的文化的な背景とともに、モノはその特性を個人の属性とはまた別の次元で、脈々と更新し続けてもいるのです。「携帯物」は何かの記念品とは異なり、日々の主人公にはなりがたいところがあります。その日に使うかどうかは別として何となしに持っているものや、自分なりのこだわりを持っているものなど、ともすればさらさらと流れる時間とともに流されていきそうなモノから自分自身を振り返る、”Keitai Trail ! “をきっかけに日常を捉えなおしてみる。何気なく持っているモノが、なぜ今日持っているかというだけの前後の文脈によって物語の主人公になりうるという点、そしてこの点から「携帯物」が、鞄の中に隠し持っている非常に”個人的な”モノ”から、社会的な接点としての語り口を持つモノにもなりえるという面白さが、これらのワークショップには潜んでいると考えています。
モノについて語ること、それは自分のアイディアや日々のことについて語ることであります。いろいろな人たちが主役となったそれらの物語を集め俯瞰することによって、個人に集約されない現代のモバイル・コミュニケーションのありようがありありと描かれ続けます。ケータイという私たちにとってとても身近な、他のどんなモノよりも立て続けにその機能を増加・刷新し続けているメディアで、「携帯物」ストーリーを撮りためていく。ケータイでここまでできるのかというある種の「違和感」は、私たちのメディア環境を考える上で非常に有用な感覚であり、メディア史の一つのトピックにもなりうるものです。そして、このケータイのおかげもあって、撮る方にとっても撮られる方にとっても非常に「身軽な」ワークショップになったのでした。(もちろん、弥次喜多装束はこの夏には暑かったですし、準備や片付けは大変でしたが…!)
“Keitai Trail ! “では連想ゲームのようにして、前後の人たちとのつながりを意識した仕組みをとっています。夏らしいお題の”something makes you cool”から始まり、”something necessary”まで、トレールはつながってきました。今後どのようにこれらのトレールは引き継がれていくのかを考えるためには、次のフレーズを埋める必要があります。
“Keitai Trail ! ” is something to discover possibilities of collaborative media expressions among general people, and also something ???
(文責:阿部純)

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Sayonara Linz, Keitai Trail ! successfully finished

Ars Electronica 2008 was over. Our “Keitai Trail !” team has collected more than 200 mobile movies of people’s story telling of their own something “mobile”. You can check them at “Online Keitai Trail !” They also did a research presentation which was successfully accepted by audience of Ars Electronica.
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Thank you very much for your joining our workshop ! We will develop more playful and reflective cultural programs with digital media from now on.
And to those who supported our workshop for about one week, we present our sincere appreciation to your kindness and generosity. Thank you so much.
Several websites and/or weblogs have mentioned to “Keitai Trail !”, please click here or here.
See you soon somewhere in this planet ! Please keep checking this website.
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Sayonara ! Yaji-Kita’s trail of mobile media research and practice will continue…

by Keitai Trail ! team
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