7月3日、市民とメディア研究会「あくせす」の7月勉強会が名古屋で開催され、可児とアイハウスでのメディア・コンテの実践について小川明子と伊藤昌亮が発表しました。名古屋ばかりでなく東京・大阪からの参加者も含めて15名ほどが山小屋風の喫茶店の2階に所狭しと集まり、そこで熱心な議論が交わされました。
市民とメディア研究会 あくせす 7月勉強会
「地域社会をつなぐ当事者的メディア実践の試み」
日時: 2009年7月3日(金) 18:30〜20:15
場所: 喫茶 エーデルワイス 2階
話題提供者: 小川明子・伊藤昌亮
概要:
- 自動車産業を中心とした東海地方の製造業は、90年以降、多くの外国人を労働者として受け入れてきました。しかし、中には短期雇用で町を去ってしまう労働者も多い状況のなかで、同じ地域に暮らしていても 彼らが何を思い、どんな生活を送っているのか、かいま見る機会はほとんどないままです。私たちがmediaexprimoプロジェクトとともに行った『メディア・コンテ』では、だからこそ、そうした親たちとともに日本にやってきた外国籍の子どもたちに写真と声で映像ストーリーを作ってもらいました。普通、私たちが映像を作るというのは、何か「特別なこと」であることが多いと思います。運動会であったり、旅行であったり。でも今回はそうではありません。「通学路」「わが家の宝物」「やっかいなこと」といった日常にこだわったテーマです。
- 大学生たちは、私たちと変わらない子どもたちの日常生活の描写の中に、「少しでもいい職業につくために、妹には高校に行ってほしい」 「一生懸命働いてくれる両親のためにいい娘になりたい」なんていう子どもたちの声を敏感に見つけ出し、驚き、それが意味することが何なのか必死で聞き出しながら一緒にストーリーを編みあげていきました。そのプロセスは、恵まれた環境にある大学生たちにとっても、なぜ自分たちが学ぶか、将来どうするのかを考えることにもつながっていったのです。映像を作った子どもたちも、 身の回りをあらためてカメラで探り、 思いを整理して大学生という他者に語ることで、自分の将来や方向性について少なからず考えたようです。そういう意味では、映像を作った外国籍の子どもたちも、それを手伝った大学生たちも、互いが触媒になりながら作り上げた、共同のストーリーだといえるかもしれません。
- こうしてでき上がった「映像」は、私たちが普段目にする映像とは、見た目も、そのプロセスも背景も意味も異なります。互いの日常に介入し、ともにストーリーを作り上げるという経験は、簡単に言葉では表し得ない相手への深い共感をもたらしました。
- 今回は、こうした実践を媒介に、地域社会、とくに東海地方のなかのメディアのありかたについて、みなさんとディスカッションしてみたいと思っています。
発表資料の一部です。
祭り的・カード遊び的〜物語ることへのデザイン
(文責:伊藤)